ゲームが大好きな少年でした。


僕の名前は、黄島たけおといいます。ファミコン
年齢はもうすぐ35歳で、もうおっさんの部類に属します。

同窓会とかで中学校、高校の同級生と会うと、そのほとんどが疲れ切った顔をしています。

第一、目が死んでます。年がおっさんだからというわけではありません。
仕事がつまらないというのです。先行きも不安だとみな口をそろえて言います。

仕事がつまらない?
先行きが不安?

僕はこれまでそんなこと考えたこともありませんでした。
なぜなら、今の仕事がとても楽しくて、会社の先行きのことなど考えたこともなかったからです。

会社がつぶれても、他の会社で同じような仕事を見つければいい。
そんな風に気楽に考えています。

そういう、僕の職業はゲームソフトを制作する仕事。
誰もが知ってる、某大手ゲーム会社でゲームソフトの企画、開発の仕事をしています。

実はゲーム会社でゲームソフト作るのは小学生の時からの僕の夢でした。

ゲームが好きでしょうがなかった小学生時代

初めてテレビゲームの存在を知ったのが、友達の家でした。

ファミリーコンピュータ。
略してファミコンと呼ばれていましたが、田舎だったこともあり、ファミコンを持っている友達は少なかったです。

それだけに、ファミコンを持っている友達は英雄扱いでした。

金持ちのヒデ君の家には、ファミコンがあり、ゲームソフトも有名なものはほとんどあり、毎日のように僕らはヒデ君の家に遊びに行きました。

ピンボール、マリオブラザーズ、ベースボール、ポパイ、、、
ヒデ君の家に遊びに行くと、ヒデ君のお母さんはいつも自家製のケーキを作ってきてくれて、冷たいお茶でもてなしてくれました。

テレビは僕の家にあるような、小さなテレビではなく、当時では他の家では見たことがないくらい大きなテレビでした。

僕の家は、あまり裕福ではなかったので、ファミコンは買ってもらえませんでした。
多分ファミコンを買うお金はあったのでしょうが、勉強しなくなるかもという、親の判断がそこにはあったのかもしれません。

とにかく、ヒデ君の家に毎日通ったのを覚えています。

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